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ここまでの章では、反応器を完全混合か押出し流れかのどちらかとして扱ってきました。
実機はどちらでもありません。撹拌槽には混ざりきらない隅があり、管型には壁際の遅い流れがある。その「どちらでもなさ」を測る道具が滞留時間分布です。
この記事の結論
- RTD関数 E(t) は「滞留時間が t だった分子の割合」。全面積が1
- 平均滞留時間は t̄ = V/v。空間時間 τ と同じもの
- トレーサーを一瞬入れて出口を測り、曲線の面積で割るだけでE(t)になる
- トレーサーの絶対量を知らなくていい。だから実機で使える
1. 分子は同じ時間だけ留まらない

反応器に入った分子が、いつ出ていくか。全部が同じ時刻に出るわけではありません。
| 押出し流れ(PFR) | 全分子がまったく同じ時間だけ留まる。分布は1点 |
| 完全混合(CSTR) | 入った瞬間に出るものもあれば、いつまでも残るものもある。分布は指数関数 |
| 実機 | この2つの間のどこか。山なりの分布になる |
この「留まった時間の分布」を関数にしたものが滞留時間分布関数 E(t)(residence time distribution function、RTD関数)です。
定義から次の関係が成り立ちます。
∫₀∞ E(t) dt = 1
全面積が1。E(t) は確率密度なので、これは「いつかは必ず出ていく」という当たり前のことを言っているだけです。
だから面積の切り取り方に意味が出ます。
- 0 から t₁ までの面積 = t₁ より短時間で出ていった分子の割合
- t₁ から先の面積 = t₁ より長く留まった分子の割合
後者が特に効きます。逐次反応で目的物が中間体のとき、長く留まった分子は目的物を通り越して副生成物になっている。この面積が収率の損失そのものです。
2. 平均滞留時間は空間時間と同じもの
体積 V の装置に体積流量 v で定常的に流れているとき、平均滞留時間は
t̄ = V / v = τ
で計算できます。これは空間時間 τ の定義そのものです。名前が2つあるだけで同じ量。
ここにこの記事でいちばん実務的な使い方が隠れています。
t̄ は2通りに求められます。
- 設計値:V/v。図面の容積と流量計から出る
- 実測値:RTD曲線の重心(一次モーメント)から出る
この2つが合わなければ、装置の中で何かが起きています。実測が設計値より短ければ、使われていない容積がある。次の記事で扱う死容積の話です。
無次元化して比べる
装置ごとに t̄ が違うと比較できないので、平均滞留時間で割った無次元時間を使います。
θ = t / t̄
θ = 1 が「平均どおりの時間で出た」という意味になります。θ を独立変数にしたRTD関数は E(θ) と書きます。これで大きさの違う装置どうしを同じ土俵で比べられる。スケールアップの検証で効いてきます。
3. 測り方|トレーサーを入れて出口を見る
RTDは計算で出すものではなく測るものです。反応しない物質(トレーサー)を入口に入れ、出口の濃度を追います。
| 入れ方 | 出口で見えるもの | 特徴 |
| インパルス応答法 (デルタ応答法) | 山なりの曲線がそのまま E(t) | 解析が単純。一瞬で入れるのが難しい |
| ステップ応答法 | 立ち上がりのS字カーブ。微分すると E(t) | 入れ方は簡単。微分で誤差が拡大する |
この長所短所の関係は反応次数を決めるときの積分法と微分法とまったく同じ構図です。微分はデータの誤差を拡大する。
トレーサーに求められるのは3つです。
- 反応しない(消費されると面積が合わなくなる)
- 流れを変えない(密度・粘度が大きく違うと本来の流れと別のものを測ることになる)
- 低濃度で検出できる(電導度、色、放射性同位体など)
4. 面積で割るだけでE(t)になる
ここがインパルス応答法の効くところです。
出口のトレーサー濃度 CL(t) を測ったら、曲線と時間軸で囲まれた面積 Q で割ります。
Q = ∫₀∞ CL(t) dt 、 P(t) = CL(t) / Q
こう定義すれば ∫P dt = 1 になり、P(t) は規格化されたトレーサー濃度になります。
そして文献はこう結論します——この P(t) が E(t) そのものに等しい。
理屈は素直です。時刻 t から t+dt に出ていくトレーサー量は vCL(t)dt。これを投入した全量で割れば、それは「滞留時間が t〜t+dt だった割合」=E(t)dt に等しい。流量 v は分母分子で消えるので、濃度曲線を自分の面積で割るだけで済みます。
なぜこれが実務で効くのか
投入したトレーサーの絶対量を知らなくていいからです。
実機でトレーサーを正確に何グラム入れたか、どれだけがラインに残ったか——これを厳密に管理するのは大変です。しかし自分の面積で規格化してしまえば、入れた量は結果に影響しません。
流量 v も式から消えるので、流量計の精度もRTDの形には効かない。測るべきは「出口濃度の時間変化の形」だけです。
ただし裾を切ってはいけません。面積で規格化する以上、テールを早く打ち切ると全部の値がずれます。濃度が下がって「もう終わり」と思うあたりに、実は死容積からゆっくり出てくる分が残っている——次の記事の主題です。
5. 何が分かって、何が分からないか
RTDは強力ですが、万能ではありません。
| 分かること | 実際の平均滞留時間/分布の広がり/短絡や死容積の有無/モデルのパラメーター(次々記事の N や Dz) |
| 分からないこと | 装置のどこでそれが起きているか/分子レベルでどう混ざっているか |
2つ目が重要です。同じRTDを与える装置は無数にあります。RTDは「どれだけの時間留まったか」しか教えてくれず、「その間に隣の分子と混ざったか」は教えてくれない。
反応が1次なら、これは問題になりません。1次反応の速度は自分の濃度だけで決まるので、混ざり方に依存しないからです。2次反応や複合反応では、同じRTDでも結果が変わりえます。
それでもRTDを測る価値は十分あります。「設計どおりに流れているか」を、装置を開けずに確かめられる手段は他にありません。
まとめ
滞留時間分布 E(t) は「その時間だけ留まった分子の割合」を表す関数で、全面積が1になります。平均滞留時間 t̄ = V/v は空間時間 τ と同じもので、設計値と実測値がずれていれば装置の中で何かが起きている合図です。測り方はインパルス応答法とステップ応答法があり、前者は解析が単純、後者は入れやすいが微分で誤差が拡大します。インパルス応答では出口濃度曲線を自分の面積で割るだけで E(t) になるため、トレーサーの絶対量も流量の精度も結果に効きません。ただし面積で規格化する以上、裾を切ると全部がずれます。RTDは「どれだけ留まったか」は教えてくれますが「どこで、どう混ざったか」は教えてくれません。
参考文献
- 橋本健治『反応工学 改訂版』培風館, 第8章 8・1「滞留時間分布関数」(定義、測定法、式8・1〜8・11) Amazonで見る
- 化学工学会編『化学工学便覧 改訂五版』丸善, 第23章「反応装置」 最新版をAmazonで見る
化学プラント大全 
