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定常状態近似と律速段階近似|複雑な機構を1本の速度式にする

量論式は速度式を教えない

※本記事の参考文献には、Amazonアソシエイトのリンク(アフィリエイト広告)を含みます。

H2 + Br2 → 2HBr。見た目はこれ以上ないほど単純な反応式です。

ところが実際の反応速度式はこうなります。

r = k1′[H2][Br2]1/2 / (k2′ + [HBr]/[Br2])

1/2乗が出てきて、分母に生成物が入っている。もはや「何次反応」という言い方ができません。

この記事の結論

  • 量論式の形と反応速度式の間には直接の関係はない
  • 速度式が複雑なのは、その反応がいくつかの素反応でできている徴候
  • 定常状態近似:活性中間体の正味の生成速度をゼロと置いて消去する
  • 律速段階近似:いちばん遅い1段で全体が決まると考える。固体触媒反応で成功している

1. 量論式は速度式を教えてくれない

固体触媒反応の7つの過程

これが出発点です。

A + B → 生成物 という反応が、AとBの衝突で直ちに起こるのであれば、速度はAとBの濃度に比例して r = kCACB、つまり2次反応になるはずです。

ところが実測がそうならない。それは「この反応が1回の衝突では起きていない」ことを示唆しています。

素反応それ以上分解できない反応。分子の衝突で進行する。速度式が直ちに書ける
非素反応いくつかの素反応の集まり。量論式は全体の帳尻を書いているだけ
反応の分子数素反応の量論式に含まれる原料成分の数。次数とは別物

次数と分子数を混同しないこと。分子数は素反応にしか定義できず、必ず整数(普通は1か2)です。次数は実測から出る見掛けの値で、1/2にも1.5にもなりうる。

反応次数の見分け方で求めた「次数」が測定範囲での見掛けの値でしかないのは、この構造から来ています。

2. 活性中間体という厄介者

素反応に分解できれば、それぞれの速度式は書けます。ではそれを足し合わせれば全体の速度式が出るか——原理的には出ます。

しかし出てきた式には活性中間体の濃度が入っています。ラジカル、励起分子、吸着種。ここが問題です。

  • 活性中間体は反応性に富むので、系内の濃度が非常に小さい
  • そのため通常の分析手段では測定が困難
  • 測れないので、式に含まれるパラメーターを実験的に決められない

式はあるが使えない。この行き詰まりを抜けるのが、これから紹介する2つの近似です。

3. 定常状態近似|測れないものを消す

考え方は単純です。活性中間体A*は生まれた端から消費されるので、正味の生成速度はほぼゼロ。

成立の条件は2つです。

条件1rA* = 0A*の正味の生成速度がゼロ
条件2[A*] ≪ [A], [B], [D]A*の濃度が反応成分に比べて無視できる

この2つが同時に満たされるとき定常状態の近似が成立します。条件1を使うと [A*] を測定可能な成分の濃度で表せるので、速度式から [A*] を消去できる

冒頭のHBrの複雑な速度式も、この方法で導かれたものです。分母に [HBr]/[Br2] が出てくるのは、生成物HBrが逆反応で中間体を消費するから。形が複雑なのには理由があります。

文献が名指しで注意していること

ここは強調しておきます。反応工学の教科書に、こう書かれています。

「[A*] を表わす式に得られた速度パラメーターの数値を代入して、[A*] が反応成分の濃度に比較して十分に小さいことを確認しなければならない。この点についての考察が十分でないことが少なくない。」

教科書が「よくやられていない」と書いている。これは珍しい書き方です。

つまり実務では、こういうことが起こりうる。

  • 定常状態近似で速度式を作り、実験データによく合った
  • しかし条件2を確認していない
  • 条件の外に出る運転点では、その速度式は外挿できない

スケールアップや条件変更のときに効いてきます。「ラボでよく合った速度式」が実機で合わないとき、近似の前提が崩れていないかを疑ってください。

4. 律速段階近似|いちばん遅い1段で決まる

もう1つの近似です。素反応が逐次的に進む系で、そのうち1つが他に比べてずっと遅ければ、見掛け上その1段で全体の速度が決まります。これを律速段階と呼びます。

大事なのはその裏側です。律速段階以外の素反応は十分に速いので、部分的な平衡状態にあるとみなせる。

平衡ということは、速度定数ではなく平衡定数で書けるということ。速度論の問題が熱力学の問題に置き換わり、式が一気に簡単になります。

定常状態近似律速段階近似
仮定するもの中間体の生成速度=01段だけが遅い
他の段の扱い速度式のまま平衡として扱う
適用範囲広い狭い
得意分野ラジカル連鎖反応、酵素反応固体触媒反応

文献はこう位置づけています——定常状態法に比較して律速段階法の適用範囲は狭いが、律速段階法は固体触媒反応の速度式の導出に適用されて成功している。

適用範囲が狭いのに使われるのは、そこで当たるからです。

5. 固体触媒反応の7つの過程

律速段階の考え方が最も効くのが固体触媒反応です。多孔性の触媒粒子で A → C の反応が起きるとき、実際には7つの過程を通ります。

過程内容種類
(1)原料成分のガス境膜内の移動物理
(2)原料成分の細孔内の拡散物理
(3)細孔内表面への化学吸着化学
(4)吸着した原料成分の反応(表面反応)化学
(5)生成物成分の脱着化学
(6)生成物成分の細孔内の拡散物理
(7)生成物成分のガス境膜内の移動物理

この7段のどれが律速するかで、反応器の挙動がまったく変わります。

律速している過程効く対策効かない対策
(3)(4)(5) 化学過程温度を上げる、触媒を変える粒径を小さくする、流速を上げる
(2)(6) 細孔内拡散触媒の粒径を小さくする温度を上げる(効きが鈍い)
(1)(7) 境膜内移動流速を上げる触媒を変える

律速段階を取り違えると、対策がまるごと空振りします。「良い触媒に変えたのに性能が上がらない」のは、拡散が律速していたからかもしれない。

この見極め方は第5章(触媒反応と固定層)で Thiele数と有効係数として詳しく扱います。ここでは「7つの過程のうちどれが遅いかを問う」という発想を持ち帰ってください。

6. 「次数」は条件で変わる

最後に、第1章の締めくくりとして大事な例を1つ。

酵素反応の速度式(Michaelis-Menten型)は、定常状態近似から導かれます。

r = Vmax[S] / (Km + [S])

この式の両極限を見てください。

基質濃度が小さい([S] ≪ Kmr ≒ (Vmax/Km)[S]1次反応に見える
基質濃度が大きい([S] ≫ Kmr ≒ Vmax0次反応に見える

同じ反応が、濃度域によって1次にも0次にも見える。

ラボで低濃度域だけを測れば「1次反応です」という報告が出てきます。その速度式で実機を設計し、実機は高濃度で運転する——そこでは0次で、まったく合わない。

これが第1章全体の結論でもあります。反応率も、次数も、選択率も、すべて「測った条件での値」です。反応器を設計するときは、実機の運転範囲がその条件の内側にあるかどうかを必ず確かめてください。

まとめ

量論式の形と反応速度式の間には直接の関係がありません。速度式が複雑なのは、その反応が複数の素反応からできている徴候です。素反応に分解すれば速度式は書けますが、測れない活性中間体の濃度が入ってしまう。これを消すのが定常状態近似で、活性中間体の正味の生成速度をゼロと置きます。ただし「中間体の濃度が十分小さいことの確認が不十分な例が少なくない」と教科書自身が注意しています。もう1つの律速段階近似は、いちばん遅い1段で全体が決まり他は平衡とみなす方法で、適用範囲は狭いものの固体触媒反応で成功しています。固体触媒反応の7過程のどれが律速するかで効く対策が変わり、取り違えると空振りします。そして酵素反応が低濃度で1次・高濃度で0次に見えるように、「次数」は条件で変わる見掛けの量です。

これで第1章「反応工学の言語」は終わりです。次章以降は、この言語を使って反応器そのものを設計していきます。

参考文献

  • 橋本健治『反応工学 改訂版』培風館, 第2章 2・2「反応次数と反応の分子数」・2・3「定常状態近似法による反応速度式の導出」・2・4「律速段階近似法による反応速度式の導出」(図2・3 固体触媒反応の過程) Amazonで見る
  • 小宮山宏『反応工学 反応装置から地球まで』(律速過程の見極め) Amazonで見る
  • 化学工学会編『化学工学便覧 改訂五版』丸善, 第3章「化学反応速度」 最新版をAmazonで見る