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1974年12月18日の夜、岡山県倉敷市。三菱石油 水島製油所の重油タンクの底が割れ、約43,000kLの重油が流れ出しました。
この事故には、爆発も火災もありません。人が亡くなってもいません。
それでも、日本の防災法制を作り変えた事故として記憶されています。重油は防油堤を越えて瀬戸内海へ流れ出し、対岸の香川県から鳴門海峡にまで達しました。ノリやハマチの養殖は壊滅的な打撃を受け、漁業補償を含む被害総額は536億円にのぼったとされます。
そして技術者として最も考えさせられるのは、次の一点です。防油堤を壊したのは、防油堤の内側にあった構造物でした。
この記事の要点
- 直径52m・高さ24mのタンクの底板が割れ、約43,000kLが流出した
- 爆発も火災もない。それでも被害は瀬戸内海全域に及んだ
- 最後の防護層である防油堤が、内部の構造物に壊されて機能しなかった
- この事故から石油コンビナート等災害防止法が生まれた
- 防災の単位が、設備1基からコンビナート全体へ変わった
1. 何が起きたのか
破損したのは270番タンク。直径約52m、高さ約24mの、大型の重油タンクです。
タンクは爆発したのではありません。底板が割れたのです。中身は、静かに、しかし大量に流れ出しました。
ここが、この事故を特別にしている点です。プロセス安全というと、爆発と火災を思い浮かべます。しかし「容器から中身が出る」という一点だけで、事故は成立します。着火源も、暴走反応も必要ありません。
流出量は約43,000kL。25mプール100杯分をはるかに超える量です。
2. なぜ、底板が割れたのか
大型タンクの底板は、地面の上に敷かれた鋼板です。中身の重さは、そのまま地盤が受け止めます。
埋立地という土地
水島は、高度成長期に造成された埋立地のコンビナートです。地盤は、長い年月をかけて自然にできた地層とは違います。
大量の液体を入れれば、地盤は沈みます。問題は均等に沈まないことです。場所によって沈み方が違えば、底板は曲げられます。
そこに、動かないものが付いていた
タンクの側面には、上まで登るための階段が取り付けられていました。その基礎は、地面に固定されています。
ここで何が起きるか。タンクは沈もうとする。階段の基礎は動かない。その差は、両者をつなぐ部分に力として集中します。
タンク本体は、設計計算されています。
板厚も、材質も、溶接も。しかし「本体に何かを取り付けたとき、そこに何が起きるか」は、本体の設計とは別の話です。付属物は、しばしば主要機器ほど慎重に検討されません。
底板の亀裂の発生については、不等沈下による変形、底板と側板の接合部にかかる応力、そして拘束された付属構造物の影響など、複数の要因が指摘されています。
この構図は、フリックスボローと重なります。あちらは配管、こちらは階段。「本体ではない部分」に無理がかかって壊れたという点は同じです。設備は、いちばん弱いところから壊れます。
3. なぜ、海まで届いたのか
ここが、この事故の最大の教訓です。
タンクの周りには防油堤がありました。中身がすべて漏れても受け止めるための、最後の防護層です。設計上、それは機能するはずでした。
しかし、流出した重油は防油堤を越えて外へ出ました。
タンク横の直立階段と、底板付近の基礎コンクリートが、防油堤を破壊しました。
大量の重油が一気に押し寄せる力で、内部の構造物が動き、堤体にぶつかった。受け止めるための壁が、受け止めるべきものによって壊されたことになります。
防油堤の容量計算は、静かに溜まる液体を前提にしています。しかし実際に起きるのは、底板が割れて一気に噴き出す流れです。そこには勢いがあり、押し流す力があり、内部の構造物を動かします。
防護層は、「その層が働くべき状況」で本当に働くかを確かめなければ意味がありません。この考え方は、独立防護層の記事で詳しく扱っています。
4. 被害は、工場の外で起きた
海に出た重油は、潮流に乗って広がりました。対岸の香川県坂出市・高松市、さらに鳴門海峡にまで到達しています。
瀬戸内海は、ノリやハマチの養殖が盛んな海域です。漁業は壊滅的な打撃を受けました。漁業補償を含む被害総額は536億円にのぼったとされます。
ここでも、セベソと同じ構図が現れます。死者がいなくても、地域が失うものは大きい。
そして、被害を受けたのは三菱石油と何の関係もない人たちでした。海で生計を立てていた漁業者、水産加工業者、その家族。工場の事故は、工場の敷地で終わりません。
5. 石災法が生まれた
この事故を受けて、翌1975年に石油コンビナート等災害防止法(石災法)が成立します。
それまでの防災は、消防法や高圧ガス保安法などが設備ごと・事業所ごとに規制する形でした。石災法が変えたのは、そこです。
| 考え方 | 内容 |
| 面としての規制 | コンビナート地域を特別防災区域として指定し、地域全体を1つの単位として扱う |
| 企業を超えた連携 | 1社の事故が隣接事業所に波及する前提で、共同防災組織を作る |
| レイアウトの規制 | 施設の配置、危険物の量、緑地帯の確保などを地域単位で管理する |
| タンク規制の強化 | 大型屋外タンクの構造基準、地盤・基礎の基準、定期的な開放点検の義務化へ |
「自分の設備が安全なら十分」ではなくなったということです。隣で何が起きるか、そのとき自社は何をするか。これが法律の要求事項になりました。
この「面で守る」という発想は、14年後のパイパー・アルファでも、別の形で問題になります。隣のプラットフォームが供給を止められなかったという論点です。つながっている設備は、つながったまま事故になります。
6. 自分の工場で確かめる6つのこと
- タンクの沈下量を測っていますか。不等沈下の傾向を、記録として持っていますか
- 本体に後から付けた構造物はありませんか。階段、配管サポート、架台。それは本体の変形を拘束していませんか
- 防油堤の容量は足りていますか。それは「静かに溜まる」前提の計算になっていませんか
- 防油堤の中に、流されて堤体を壊し得るものはありませんか。
- 大量に漏れたとき、最終的にどこへ行きますか。排水路の先は、どこにつながっていますか
- 隣接事業所と、どんな連携がありますか。相手の危険物を把握していますか
3番目と4番目は、意外と確認されていません。防油堤は「容量を満たしているか」だけで評価されがちです。
まとめ
- 1974年12月18日、三菱石油 水島製油所で重油タンクの底板が割れ、約43,000kLが流出
- 爆発も火災もなく、死者もいない。それでも被害は瀬戸内海全域に及び、総額536億円とされる
- 底板の破損には、埋立地の不等沈下と、拘束された付属構造物の影響が指摘されている
- 防油堤は、内部の階段と基礎コンクリートに壊された。最後の防護層が機能しなかった
- この事故から石災法が生まれ、防災の単位が設備からコンビナート全体へ変わった
水島が教えているのは、「最後の防護層は、本当に最後まで残りますか」ということです。堤があることと、堤が働くことは違います。
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参考文献
- 石油コンビナート等災害防止法(e-Gov法令検索) ※本事故を受けて1975年制定
- 危険物保安技術協会 機関誌 特集企画「水島事故 あれから50年」(PDF)
- 安全工学会 監修『実践・安全工学シリーズ2「プロセス安全の基礎」』化学工業日報社、2012年
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※流出量・海上流出量・被害総額は資料によって数値に幅があります。本記事では広く引用されている値を示しています。底板破損の要因についても複数の指摘があり、単一原因として断定していません。
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