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リスクマトリクスは、たいていの会社にあります。5×5の格子に、緑・黄・赤が塗ってある、あの表です。
ここで1つ質問です。あのセルの色は、誰が、何を根拠に決めたのでしょうか。
答えられる会社は、そう多くありません。色が感覚で塗られていると、マトリクスは「判断しているように見えるだけの表」になります。
この記事の要点
- セルの色は、許容リスク基準から逆算して決まる
- ランクは10倍刻み(等比)にする。等差だと掛け算が壊れる
- マトリクスには範囲圧縮と順位逆転という既知の欠陥がある
- マトリクスはふるい。判定器ではない
- マトリクスの基準とLOPAのターゲット頻度が食い違っている会社は多い
1. キャリブレーション ― 定性ランクに、定量の意味を与える
マトリクスを作るときの第一歩は、各ランクが「だいたいどれくらいの頻度・被害を指すのか」を数字で書くことです。これをキャリブレーションと言います。
| 頻度ランク | 言葉での説明 | 定量の目安 |
| 5 | この設備で、年に何度も起きる | 1回/年 以上 |
| 4 | 数年に1回は起きる | 10⁻¹ 回/年 |
| 3 | 設備の生涯に1回あるかどうか | 10⁻² 回/年 |
| 2 | 業界で聞いたことがある程度 | 10⁻³ 回/年 |
| 1 | ほとんど考えられない | 10⁻⁴ 回/年 以下 |
言葉だけのランク定義では、人によって2つずれます。「まれ」が10年に1回の人と、100年に1回の人がいるからです。
2つずれれば、赤が緑になります。数字を併記するだけで、この揺らぎはかなり減ります。
なぜ10倍刻みなのか
ランクの間隔は等比(10倍ずつ)にします。等差(1・2・3…)にしてはいけません。
理由は単純で、リスク=頻度×被害という掛け算をしたいからです。等比にしておけば、ランクを足すことが掛け算に対応します。対数のスケールになっているわけです。
だから、マトリクス上で斜めに1マス動く=リスクが約10倍動く、という読み方ができます。等差で作られたマトリクスでは、この読み方が成り立ちません。
2. 色は、許容リスク基準から逆算する
ここが、この記事の中心です。
先に決めるのは、セルの色ではありません。「何回に1回までなら受け入れるか」という基準のほうです。
| 影響の種類 | 許容頻度の例 |
| 死亡に至る | 1×10⁻⁴ 回/年 |
| 治療を要する傷害 | 1×10⁻³ 回/年 |
| 設備損傷・生産停止 | 1×10⁻² 回/年 |
この基準が決まると、色は自動的に決まります。
- 影響が死亡のシナリオ → 許容は10⁻⁴/年 → 頻度ランク1でなければ赤
- 影響が要治療のシナリオ → 許容は10⁻³/年 → 頻度ランク2以下でなければ赤
- 影響が設備損傷のシナリオ → 許容は10⁻²/年 → 頻度ランク3以下なら許容
赤・黄・緑の境界線が、マトリクスの上に斜めの階段として現れます。これが本来の姿です。
逆に言えば、許容リスク基準を決めずにマトリクスだけ作ることはできません。それでも作れてしまうのが問題で、その場合「なんとなく右上が赤」という表ができあがります。他社の表をそのまま持ってきたマトリクスは、たいていこの状態です。
3. マトリクスの既知の欠陥
リスクマトリクスは便利ですが、構造的な弱点が知られています。知ったうえで使うのと、知らずに使うのとでは大きく違います。
① 範囲圧縮 ― 幅の広いランクの中で、差が消える
頻度ランク1を「10⁻⁴回/年以下」と定義すると、10⁻⁴も10⁻⁸も、同じランク1になります。
実際には1万倍の差です。それがマトリクス上では区別できません。
特に上端と下端のランクは、必ず幅が無限に広くなります。ここに入るシナリオは、マトリクスでは扱いきれていないと考えてください。
② 順位逆転 ― 定量とマトリクスで、順番が入れ替わる
| シナリオ | 実際の頻度 | ランク | 実際の被害 | ランク |
| A | 9×10⁻³(ランク3の上端) | 3 | 大(ランク4の上端) | 4 |
| B | 1.1×10⁻²(ランク4の下端) | 4 | 中(ランク3の下端) | 3 |
マトリクス上ではAもBも同じセル(3×4と4×3)に入り、同格に見えます。しかし定量的には、Aのリスクのほうが数倍大きいことがあります。
これはランクの境界で丸めていることの必然的な結果です。マトリクスを細かくしても、境界がある限り消えません。
③ 人の側の癖
| 癖 | 起きること |
| 中心化傾向 | 迷ったら真ん中を選ぶ。結果が中央に集まる |
| 色に引っ張られる | 「黄色だから、まあいい」になる |
| 結論から逆算する | 対策したくないので、頻度を1つ下げる |
| 同一セル内の格差 | 同じ赤でも、中身の深刻さがまるで違う |
3行目は、口に出されないだけで、かなり起きています。「この設備でそんなに起きるはずがない」という判断に、根拠が要らないからです。
だからこそ、頻度ランクに定量の目安を書いておく意味があります。「10年に1回ですか、100年に1回ですか」と聞ける形にしておくことです。
4. マトリクスは、ふるいである
ここまでの欠陥を踏まえると、マトリクスの正しい位置づけが見えてきます。
| 使い方 | 適否 |
| 多数のシナリオを、ざっと仕分ける | ○ 本来の用途 |
| 詳細評価に進むものを選ぶ | ○ 本来の用途 |
| 対策の要否を最終決定する | △ 重大なものには不十分 |
| 2つのシナリオの優劣をつける | × 順位逆転が起きる |
| 対策前後の効果を定量的に示す | × セルが動いた事実しか示せない |
マトリクスは、ふるいです。判定器ではありません。
ふるいの上に残ったもの――赤や、影響ランクが最上位のもの――は、LOPAやQRAに送る。そこで初めて、対策の要否を数字で判断します。
そしてもう1つ、運用ルールとして入れておきたいものがあります。
「影響ランクが最上位(死亡に至りうる)のシナリオは、頻度ランクによらず必ずレビューする」。
FMEAでSが大きい項目をRPNと別枠にするのと、まったく同じ発想です。掛け算の結果だけで、致命的なものを落とさないための保険です。
5. ALARP・LOPA・QRAとの整合
ここは、実際に見直すと不整合が出てくるところです。
| 手法 | 何を基準にしているか |
| リスクマトリクス | セルの色(赤/黄/緑) |
| LOPA | ターゲット頻度(10⁻⁴/年 など) |
| QRA | 個人リスク、社会的リスク(FN曲線) |
| ALARP | 3領域と、費用対効果の判断 |
これらは、同じ会社の中で一貫している必要があります。
ところが実際には、マトリクスは安全部門が10年前に作り、LOPAのターゲット頻度は数年前に別のプロジェクトで決めた――ということが起こります。すると、マトリクスでは黄色(許容)なのに、LOPAにかけると基準未達、という矛盾が出ます。
矛盾自体はすぐ直せます。問題は、気づかないまま両方が使われ続けることです。
緑=「もう何もしなくてよい」ではない
もう1つ、混同されやすい点があります。
ALARPの考え方では、許容できない領域と、広く受け入れられる領域のあいだに、「合理的に実行可能な限りリスクを下げる」領域があります。
マトリクスの黄色は、多くの場合この領域に当たります。「黄色だから対策不要」ではなく、「妥当な費用で下げられるなら下げる」が正しい読み方です。
6. 許容リスク基準を、どう決めるか
「10⁻⁴回/年」という数字は、どこから出てくるのか。科学的に一意に決まるものではありません。社会的な合意と、比較対象から決まります。
| 拠りどころ | 中身 |
| 他のリスクとの比較 | 日常生活で受けているリスクと比べて、著しく高くないか |
| 業界・海外の慣行 | 同種プラントで一般に使われている水準 |
| 規制当局の考え方 | 各国の安全規制で示されている許容水準 |
| 自社の過去実績 | いま実際にどの水準にいるか(目標は現状より厳しく) |
| ステークホルダー | 周辺住民、行政、従業員が納得できるか |
大切なのは、「決めた」という事実と、その理由を文書に残すことです。数字そのものより、後から説明できることのほうが重要だと思っています。
事故が起きたあと必ず問われるのは、「なぜその水準で良いと判断したのか」です。
7. 自分の職場で確かめる7つのこと
- 頻度ランクに、定量の目安が書かれていますか。
- ランクの間隔は10倍刻みですか。等差になっていませんか
- セルの色は、許容リスク基準から逆算されていますか。
- その許容リスク基準は、文書化されていますか。誰がいつ決めましたか
- マトリクスの基準と、LOPAのターゲット頻度は整合していますか。
- 影響ランク最上位のシナリオを、頻度によらずレビューする仕組みがありますか。
- 評価結果が、中央のセルに集まっていませんか。
まとめ
- 許容リスク基準が先、セルの色は後。逆にすると根拠が消える
- ランクは10倍刻み。斜め1マス=約10倍という読み方ができる
- 範囲圧縮と順位逆転は、マトリクスに内在する欠陥
- ふるいとして使い、残ったものはLOPA・QRAへ送る
- 影響が最上位のものは、頻度によらずレビューする
許容リスク基準が決まると、「あとどれだけリスクを下げる必要があるか」が数字で出ます。その不足分を安全計装で埋めるとき、必要な性能を表すのがSILです。次はそこを扱います。
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プロセス安全の全体地図
この記事は「プロセス安全・防災」カテゴリの1本です。約100本を6つの領域に整理した地図と、立場・目的別の読む順は、こちらにまとめています。
参考文献
- 安全工学会 監修、新井充・佐藤吉信・高木伸夫・野口和彦・若倉正英 編『実践・安全工学シリーズ3「安全マネジメントの基礎」』化学工業日報社、2013年
Amazonで見る - 厚生労働省「危険性又は有害性等の調査等に関する指針 同解説」(PDF)
- 高圧ガス保安協会「リスクアセスメント・ガイドライン Ver.2」(2016年、PDF) 発生頻度5分類・影響度4分類・5×4マトリクスと判定基準の例
- 総務省消防庁「石油コンビナートの防災アセスメント指針」(2013年、PDF) 10⁻⁶/年を目安とする考え方
- 英国HSE「Reducing Risks, Protecting People (R2P2)」(2001年、PDF) ALARP三領域の原典(※HSE公式サイトからは削除済みのため、Internet Archiveの保存版)
※本記事中の許容頻度の数値は、考え方を説明するための一例です。許容リスク基準は事業所ごとに定めるものであり、適用にあたっては自社の基準と、関係する規制の要求をご確認ください。
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