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ここまでの記事で、「4.7 kW/m²」「21 kPa」といったしきい値を使ってきました。便利な数字です。
しかし現実は、こうではありません。4.6なら無傷で、4.8なら重傷という線が引かれているわけではない。
そして、しきい値には決定的に欠けているものがあります。時間です。
この記事の要点
- 被害は「起きる/起きない」ではなく確率で表せる
- Probitは曝露の強さと時間から、その確率を出す方法
- 12.5 kW/m²なら、30秒で0.5%、60秒で21%、120秒で84%
- つまり「早く逃がす」ことの価値が、数字で出る
- ただし係数の不確かさは大きい。絶対値より相対比較に使う
1. しきい値に欠けているもの
しきい値は、判断を速くします。「この線の内側には人を置かない」と決められる。設計基準として優れています。
しかし、次の2つの問いには答えられません。
- そこにいた人は、何%が助からないのか
- 避難時間を半分にしたら、どれだけ助かるのか
1つ目に答えられないと、QRAで個人リスクや社会的リスクを計算できません。2つ目に答えられないと、避難対策の効果を評価できません。
2. Probitという考え方
Probit(プロビット)は、曝露の程度から、被害が生じる確率を出す方法です。基本の形はこうなります。
Pr = a + b × ln(V)
Pr:プロビット値/a, b:物質・災害の種類ごとに定められた係数
V:曝露を表す量(強さと時間の組み合わせ)
そしてPr値を、確率へ変換します。Pr=5 が、ちょうど50%です。
| Probit値 | 2.67 | 3.72 | 4.16 | 5.00 | 6.28 | 7.33 |
| 確率 | 1% | 10% | 20% | 50% | 90% | 99% |
Probitの本質は、Vの中に「時間」が入っていることです。しきい値は強さだけを見ますが、Probitは「どれだけの強さで、どれだけの間さらされたか」を見ます。だから避難の効果が評価できます。
3. 災害の種類ごとに、Vの形が違う
| 災害 | Vの形 | 意味 |
| 輻射熱 | t × I4/3 | 強さの4/3乗 × 時間。強さのほうが効くが、時間も効く |
| 毒性ガス | Cn × t | 濃度のn乗 × 時間。nは物質で異なる |
| 爆風圧 | 過圧、または過圧と力積 | 肺損傷・鼓膜破裂・全身の飛翔で別の式 |
毒性ガスのCn×tは、いわゆるハーバーの法則を一般化したものです。n=1なら「濃度×時間が同じなら影響も同じ」ですが、実際のnは1ではありません。
nが大きい物質ほど、「濃い環境に短時間」のほうが「薄い環境に長時間」より危険になります。この違いが、避難戦略に影響します。
4. 計算してみる ― 時間はどれだけ効くか
輻射熱で、広く引用されている係数の一例を使って計算します。
Pr = −14.9 + 2.56 × ln( t × I4/3 / 104 )
t:曝露時間[秒]/I:輻射熱強度[W/m²]
12.5 kW/m² に、何秒いたら
| 曝露時間 | Probit値 | 死亡率 |
| 10 秒 | −0.38 | ほぼ 0% |
| 30 秒 | 2.43 | 約 0.5% |
| 60 秒 | 4.20 | 約 21% |
| 90 秒 | 5.24 | 約 60% |
| 120 秒 | 5.98 | 約 84% |
同じ12.5 kW/m²でも、30秒なら0.5%、120秒なら84%。
しきい値の議論では、どちらも「12.5 kW/m²の場所」で同じです。しかし結果はまったく違います。
30秒間、どれだけの強さなら
| 輻射熱強度 | 死亡率(30秒曝露) |
| 4.7 kW/m² | ほぼ 0% |
| 8 kW/m² | ほぼ 0% |
| 12.5 kW/m² | 約 0.5% |
| 20 kW/m² | 約 17% |
| 37.5 kW/m² | 約 88% |
この2つの表から、「4.7 kW/m²なら避難できる」というしきい値の意味が読み取れます。30秒程度さらされても、その強さなら助かる。だから避難の余地がある、という判断です。
5. 何が見えるようになるか
Probitを使うと、しきい値では比べられなかったものが比べられます。
| 対策 | Probitで何が見えるか |
| 距離を離す | Iが下がる。距離の2乗で効く |
| 避難を早める | tが減る。しきい値では評価できなかった効果 |
| 警報を早く鳴らす | 気づくまでの時間が減る=tが減る |
| 避難経路を作る | 脱出にかかる時間が減る |
| 遮蔽物を置く | Iが下がる |
「検知を30秒早める」という改善に、数字が付きます。設備投資の判断では、これが効きます。しきい値だけでは「範囲の内か外か」しか言えず、内側での改善が評価できません。
そしてこの確率が、QRAで個人リスク(その場所にいる人の年間死亡確率)や社会的リスク(FN曲線)へ積み上がっていきます。
6. 使うときに、忘れてはいけないこと
ここは正直に書いておくべき部分です。
係数の不確かさは大きい
Probitの係数は、動物実験のデータや、過去の事故統計からの外挿で決められています。
- 同じ災害でも、出典によって係数が異なる
- 実験は限られた条件でしか行われていない。その外側は外挿
- 個人差、年齢、健康状態、着衣、姿勢は反映されない
- 屋内にいるか屋外にいるかで、大きく変わる
「計算できる」と「正確に予測できる」は、別のことです。
Probitが出す「21%」は、21人に4人が亡くなるという予言ではありません。その桁と、条件を変えたときの動く向きを示す道具です。
だから、相対比較に使う
実務でProbitが最も役に立つのは、案を比べるときです。
- 「建屋を20m移す」と「検知を30秒早める」のどちらが効くか
- 「在庫を半分にする」ことの効果はどれくらいか
- 対策を打った後の残余リスクは、打つ前と比べてどうか
絶対値の精度が同じなら、比の精度は絶対値の精度より高くなります。同じ係数で両案を計算すれば、係数の誤差はある程度打ち消し合うからです。
7. しきい値とProbitの使い分け
| しきい値 | Probit | |
| 出るもの | 影響範囲(距離) | 被害の確率 |
| 時間 | 入らない | 入る |
| 手間 | 小さい | 大きい |
| 向く場面 | 設計基準、レイアウト、スクリーニング | QRA、対策案の比較 |
| 説明のしやすさ | 高い(「この範囲に人を置かない」) | 低い(確率の説明が要る) |
実務の順序としては、まずしきい値で範囲を押さえ、判断が割れるところをProbitで詰めるのが現実的です。すべてをProbitで評価する必要はありません。
8. 自分の職場で確かめる6つのこと
- 影響評価は、しきい値だけで終わっていませんか。範囲の内側の差が見えていますか
- 「避難にかかる時間」を見積もったことがありますか。気づくまで+動くまで+逃げるまで
- 検知から警報までの時間は、何秒ですか。それを短くする余地はありますか
- 対策案を比べるとき、同じ土俵で比べていますか。
- 使っている係数の出典を、把握していますか。
- 計算結果を、確定値のように扱っていませんか。
2番目が、実は最も難しい問いです。避難時間には「異常に気づくまでの時間」と「危険だと判断するまでの時間」が含まれます。そして東ソー南陽が示したように、気づいても危険と読めないことがあります。
まとめ
- しきい値は強さしか見ない。Probitは強さと時間を見る
- Pr=5 が50%。12.5 kW/m²なら30秒で0.5%、120秒で84%
- だから「早く逃がす」対策の効果が、数字で出せる
- 係数の不確かさは大きい。絶対値ではなく、案の比較に使う
- 実務ではしきい値で範囲を押さえ、判断が割れるところをProbitで詰める
影響評価の数字は、誰かを説得するためではなく、自分たちが選ぶために使うものです。「どちらの対策が効くか」に答えられれば、それで十分に役目を果たしています。
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火災・爆発の型を全体として見分ける地図は、こちらにまとめています。
参考文献
- 安全工学会 監修、新井充・佐藤吉信・高木伸夫・野口和彦・若倉正英 編『実践・安全工学シリーズ2「プロセス安全の基礎」』化学工業日報社、2012年、第2章「化学産業におけるリスクアセスメントと許容リスク基準」、第4章「安全性解析手法」
Amazonで見る - 安全工学会 監修『実践・安全工学シリーズ1「物質安全の基礎」』化学工業日報社、2012年
Amazonで見る - 毒性物質のProbit係数は、対象物質ごとに公表されているデータを確認してください。出典によって値が異なります
※本記事で用いた輻射熱のProbit係数は、広く引用されている一例です。係数は出典によって異なり、屋内・屋外の別、着衣、遮蔽の有無によっても結果は大きく変わります。示した数値は手法の性格を理解するための例であり、設計値や安全基準ではありません。実際の評価では、該当する指針と最新の係数を確認してください。
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