デンカ青海工場 配管破裂事故に学ぶ、未知のリスクと変更管理

化学プラントの現場において、私たちは日々「安全第一」を掲げて作業を行っています。しかし、時には「作業員の安全を守るために行った処置」が、予期せぬ化学反応を引き起こし、重大事故の引き金になってしまうことがあります。

今回は、2023年6月にデンカ株式会社青海工場で発生したクロロプレンモノマー製造設備の配管破裂事故を取り上げます。この事故調査報告書には、プロセス産業に携わる私たちが直面する「未知の危険物質」への対応や、「良かれと思った安全対策」の落とし穴など、極めて重要な教訓が含まれています。


1. 事故の概要:配管切断作業中の悲劇

事故は、定期修繕工事の一環として、配管の更新(取り替え)作業を行っている最中に発生しました。

  • 発生日時: 2023年6月14日 午前9時5分頃
  • 場所: デンカ株式会社 青海工場 クロロプレンモノマー製造設備(5MCプラント)
  • 作業内容: 協力会社による移送配管の切断・撤去作業
  • 被害状況: 死亡1名、負傷2名(いずれも協力会社従業員)

協力会社の作業員が、既設配管を撤去するために電動ノコギリ(セーバーソー)で切断を開始した直後、切断箇所ではなく、そこから約2.9m離れたエルボ(曲がり管)部付近で配管が激しく破裂しました。切断していた場所そのものではなく、離れた場所で爆発が起きたという点が、この事故の特異で恐ろしい点です。


2. なぜ爆発したのか?(事故の直接原因)

調査の結果、配管内部に付着していた「スケール(付着物)」が爆発の原因であることが判明しました。しかし、単にスケールがあっただけでは爆発しません。そこには「乾燥」「熱」という2つの要素が重なっていました。

① 真犯人の正体:「CP-NOxダイマー」

配管内に付着していた黄土色のスケールを分析した結果、これは「CP-NOxダイマー」(2-クロロ-1-ニトロ-4-ニトロソ-2-ブテン、ダイマー)という物質であることが特定されました。
これは、原料のクロロプレンモノマー(CP)と、重合禁止剤由来の窒素酸化物(NOx)、そして微量の酸素が反応して生成されたものです。

  • 危険性: この物質は、乾燥状態ではTNT火薬に匹敵する爆発エネルギー(発熱量約4,400J/g)を持ち、わずかな衝撃や摩擦でも爆発する(落つい感度JIS5級)極めて危険な物質でした。
  • 湿潤状態なら安全: 一方で、水分を含んだ湿潤状態であれば、感度は著しく低下(落つい感度JIS8級)し、安全に取り扱える物質でした。

② 「安全のためのN2ブロー」が仇に

現場では、配管内のスケールを安全にするため、事前に十分な水洗(湿潤化)を行っていました。
しかし、その後の工程で「液だれによる作業員の薬傷(化学熱傷)防止」を目的として、配管内にドライ窒素(乾燥窒素)を2時間半にわたり吹き込んでいました

実験の結果、湿潤状態のスケールにドライ窒素を流すと、わずか30分程度で含水率が1%未満になり、危険な乾燥状態に戻ってしまうことが判明しました。関係者は「一度濡らせば湿潤状態が維持される」と考えていましたが、実際には安全のために液を切るという行為が、皮肉にも「爆薬を作る」行為となってしまっていたのです。

③ セーバーソーの熱が着火源に

乾燥して敏感になったスケールに対し、セーバーソーによる切断作業が行われました。
再現実験によると、セーバーソーの刃先温度は切断時に150℃以上に達します。一方、CP-NOxダイマーの発火温度は約100℃です。

  1. 着火: 切断部の摩擦熱(約150℃〜180℃)で、付近のスケールが発火。
  2. 伝播: 火炎が配管内を走り(爆燃)、スケールが多く堆積していた上流側へ移動。
  3. 爆轟: 切断点から2.9m離れたエルボ部で、堆積していた大量のスケール(厚み約1.2~1.6mm)が誘爆し、衝撃波を伴う「爆轟(ばくごう)」が発生して配管が破裂しました。

3. なぜ防げなかったのか?(背景要因)

この事故の背景には、技術的な要因だけでなく、組織的な要因も潜んでいました。

過去の教訓の風化と情報の断絶

実は、類似の事故は過去にも起きていました。

  • 1994年 DuPont社(米国): 同じCP-NOxダイマーによる配管破裂事故が発生していました。デンカも当時情報を入手していましたが、詳細なメカニズムまでは把握できておらず、今回の現場のリスク評価に結びつきませんでした。
  • 2001年 デンカ自社工場: 別工程で類似のスケールによるトラブルがありましたが、今回の液体移送配管とは条件が異なると認識され、情報が活用されませんでした。

「逸脱の正常化」の兆候

事故前のプラント運転データを見直すと、重合禁止剤の注入量や、系内への空気の漏れ込み量が、管理基準内ではあるものの、以前より増加傾向にありました。
この「わずかな変化」がスケールの生成量を増やしていたのですが、「基準内だからヨシ」として深く追求されず、スケール増加の真因が見過ごされていました。

協力会社とのリスク共有の難しさ

「スケールは濡れていれば安全」という認識は共有されていましたが、「窒素ブローをするとすぐに危険な状態に戻る」という具体的な危険性までは、発注者側も認識しておらず、当然協力会社にも伝わっていませんでした。


4. 現場が取り組むべき再発防止策

この事故から、私たちは何を学ぶべきでしょうか。報告書では以下の対策が提言されています。

① 「湿潤」の徹底管理

特定のスケールリスクがある設備では、「湿潤状態」の定義と維持方法を厳格化する必要があります。

  • N2ブローの禁止: 湿潤化後の乾燥操作(N2パージ)を行わないことを徹底します。
  • 常時湿潤: 点検・解体時は、常に水に接している状態(満水・散水)を維持します。

② 未知のリスクへの「感度」を高める

  • 変化への気付き: 運転データが基準内であっても、「いつもと違う(スケールが増えた、薬品量が増えた)」という変化を感じたら、その原因を徹底的に突き止める姿勢(逸脱の正常化を防ぐ)が重要です。
  • 他社事例の活用: 「他社の事故は明日の我が身」。過去の類似事例や他社事例を、自社設備に置き換えて再評価する「プロセスセーフティ」の教育が不可欠です。

③ 発注者と協力会社の「三者間リスクアセスメント」

工事の安全を確保するためには、以下の三者による対話が鍵となります。

  1. 発注者(プラント側): 物質の危険性と、残留リスク(除害しきれない危険)を提示する。
  2. 元請会社: 残留リスクを踏まえた施工方法を計画する。
  3. 施工会社(実作業者): 現場の状況に即した危険予知を行い、作業手順に落とし込む。

5. まとめ:知識をアップデートし続ける責任

デンカ青海工場の事故は、「薬傷防止のための窒素パージ」という善意の安全対策が、物質の特性(乾燥による爆発性)と噛み合わずに起きた悲劇でした。

私たち技術者は、以下のことを胸に刻む必要があります。

  • 「乾かす」ことのリスク: 化学物質によっては、乾燥が最大のトリガーになるものがある。
  • 手順書の再確認: 「なぜこの手順なのか?」「この操作(N2ブローなど)に副作用はないか?」を常に問い直す。
  • 情報の継承: 過去のトラブル事例は、ファイルに閉じるのではなく、今の設備と照らし合わせて語り継ぐ。

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、この貴重な報告書を私たちの現場の安全に活かしていきましょう。


参考資料

本記事は、以下の公開された事故調査報告書に基づき作成されています。詳細な化学的メカニズムや実験データについては、原本をご参照ください。