はじめに:軸がないのに、なぜ回る?
化学プラントの現場で、モーターとポンプの間に妙に膨らんだ部分があるポンプを見たことがありますか?
それが、劇薬や危険流体の移送で絶大な信頼を誇る「マグネットポンプ(マグネット駆動ポンプ)」です。
通常のポンプには、モーターの動力をインペラーに伝えるための「軸(シャフト)」が貫通しており、そこからの漏れを防ぐためにメカニカルシールが必要でした。しかし、マグネットポンプには貫通する軸がありません。だから、構造上「絶対に漏れない」のです。
「漏れないなら最強じゃないか!」と思いますよね。
しかし、この完璧に見える構造には、「空運転(ドライラン)をすると一瞬で壊れる」という致命的な弱点があります。なぜ数秒のミスが数百万円の損害になるのか? その物理的な理由を、見えない壁の中で起きている現象から解き明かします。
1. 図解!マグネットポンプの「3層構造」

マグネットポンプの構造は、マトリョーシカ人形のように層になっています。外側から順に見ていきましょう。
① アウターマグネット(駆動側)
- 場所: キャン(隔壁)の外側、大気中にあります。
- 役割: モーターの軸に取り付けられており、ブンブンと回転します。強力な磁力を内側へ向けて放っています。
② キャン(リアケーシング / 隔壁)
- 場所: アウターとインナーの間にある「薄いコップ状の壁」です。
- 役割: ポンプ内部の液体と、外部の大気を完全に遮断します。この壁越しに磁力だけを通します。
③ インナーマグネット(従動側)
- 場所: キャンの中、液体にどっぷりと浸かっています。
- 役割: インペラー(羽根車)と一体化しており、アウターマグネットの磁力に引っ張られて、壁越しに同期して回ります。
【プロの視点】磁石にも「性格」がある
中に使われている磁石には2種類あります。
- ネオジム磁石: 最強の磁力でコンパクトですが、熱に弱い(限界100〜120℃)のが弱点です。
- サマリウムコバルト磁石(サマコバ): 磁力は少し劣りますが、熱にめっぽう強い(〜350℃)ため、高温仕様のポンプに使われます。
2. 「見えない壁」で起きている事:キャン渦電流損失

マグネットポンプを理解する上で避けて通れないのが、金属製キャンで発生する「渦電流(Eddy Current)」です。
キャンは「IHヒーター」になっている
金属製のキャン(ハステロイやステンレス)の周りで、強力な磁石が高速回転するとどうなるか?
電磁誘導の法則により、キャン表面に電気抵抗による「発熱」が生じます。これは、IHクッキングヒーターが鍋を温めるのと全く同じ原理です。
エネルギーの浪費と液温上昇
この発熱は、モーターの動力を無駄に消費します(キャン損失)。
- 回転数の「2乗」で発熱する: インバータで回転数を上げると、発熱量は4倍に跳ね上がります。
- 冷却が必要: 通常運転時は、ポンプ内の液がキャンを冷やしてくれます。しかし、もし「締切運転」をして液が滞留すると、この熱で液が一気に沸騰(フラッシング)し、ポンプが破損します。
【解決策】非金属キャン
最近では、電気を通さないCFRP(炭素繊維強化樹脂)やセラミックス製のキャンが増えています。これらは渦電流が発生しないため、発熱ゼロ・損失ゼロの理想的な運転が可能です。
3. 【最重要】なぜ「空運転」で即死するのか?

マグネットポンプ最大のタブー、それが「空運転(ドライラン)」です。
メカニカルシールポンプなら数分耐えられることもありますが、マグネットポンプは「数秒〜1分」で再起不能になります。その理由は2つあります。
理由A:SiC軸受の「熱衝撃破壊」
マグネットポンプの軸受は、送っている液体そのもので潤滑する「すべり軸受」です。材質には非常に硬いSiC(セラミックス)が使われます。
- 液がなくなる: 潤滑膜が消え、セラミック同士が直接擦れ合います(固体接触)。
- 摩擦熱: わずか数秒で、接触面の温度は1000℃近くまで急上昇します。
- 熱衝撃(Thermal Shock): SiCは硬いですが、「急激な温度変化」にはガラスのように脆い性質があります。急加熱による膨張差に耐えられず、「パリーン!」と粉々に砕け散ります。摩耗するのではなく、割れるのです。
理由B:磁石の「熱減磁」
空運転でキャン内部の温度が上がると、磁石の温度限界を超えてしまいます。
磁石は一度ある温度(キュリー点付近)を超えると、冷やしても磁力が戻りません(不可逆減磁)。こうなるとモーターは回っても、インペラーは永久に回らなくなります。
4. 現場での守り方:電流計では守れない?

「空運転したらサーマル(過負荷リレー)が飛ぶから大丈夫」と思っていませんか?
それは大きな間違いです。
電流値の罠
空運転をするとポンプは空気を回すだけなので、負荷は軽くなります。
しかし、モーター(誘導電動機)の特性上、軽負荷時は「励磁電流」が支配的になり、電流値 ($A$) はあまり下がりません。そのため、通常の電流計では空運転を検知できないことが多いのです。
正解は「電力(Power)」監視
空運転を確実に見抜くには、「有効電力 ($kW$)」または「力率」を監視する必要があります。
これらは負荷が軽くなるとリニアに、かつ劇的に数値が下がるため、空運転を瞬時に検知できます。
【鉄則】
マグネットポンプには必ず「電力監視式の空転防止リレー」を設置し、検知後1秒以内に停止するようインターロックを組んでください。
5. ライバル比較:キャンドモータポンプとの使い分け

同じ「シールレス」であるキャンドモータポンプとはどう使い分ければ良いでしょうか?
| 比較項目 | マグネットポンプ | キャンドモータポンプ |
|---|---|---|
| 構造 | 汎用モーター + 磁石カップリング | モーターとポンプが一体化 |
| メンテナンス | 現場で部品交換可能(簡単) | 専門工場へ返送が必要(困難) |
| 対応温度 | 〜150℃(サマコバで〜350℃) | 〜450℃(高温に強い) |
| 安全性 | キャンが破れると外部漏洩 | 二重の壁(ステータライナー+外殻)があり漏れない |
| 主な用途 | 一般薬液、コスト重視 | 毒性ガス、超高温・高圧液 |
- マグネット: メンテナンスしやすく安価。一般的な化学液移送のファーストチョイス。
- キャンド: 「絶対に漏らしてはいけない」猛毒流体や、マグネットが耐えられない高温・高圧条件での切り札。
6. まとめ:漏れないけれど、繊細な「お嬢様」

マグネットポンプは、「漏れゼロ」という最強の盾を持っていますが、その代償として「潤滑」と「冷却」をプロセス液に100%依存しています。
- 液がないと、軸受が割れる。
- 液が止まると、キャンが発熱して自壊する。
この特性を理解し、「電力モニタによる空転監視」と「ミニマムフローの確保」を徹底すること。これさえ守れば、マグネットポンプは現場の安全を守る最高のパートナーになってくれるはずです。
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