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1974年 フリックスボロー爆発事故|「仮設だから」で工場が消えた日

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1974年6月1日、土曜日の夕方。イギリス中部の小さな村フリックスボローにあったナイプロ社の化学工場が、跡形もなく吹き飛びました。死者28名。周辺の家屋1,800戸以上が損壊しています。

原因になったのは、2か月前に取り付けられた1本の仮設配管でした。

この事故がプロセス安全の歴史で特別なのは、原因が「予想外の現象」でも「未知の物質」でもなかったからです。やるべきことをやらなかった。それだけで工場が消えました。

この記事の要点

  • 反応器1基を外し、その隙間を仮設配管でつないで運転を続けた
  • その配管に強度計算も、正規の設計図も、審査もなかった
  • 配管が破断し、大量のシクロヘキサンが噴出。蒸気雲爆発に至った
  • 死者の多くは制御室にいた。建屋が爆風に耐えられなかった
  • この事故から変更管理(MOC)という考え方が世界に広まった

1. 何が起きたのか

「仮設だから」で、工場が消えた

工場は何を作っていたか

ナイプロ社のフリックスボロー工場は、ナイロンの原料になるカプロラクタムを作っていました。

その第一段階が、シクロヘキサンを空気で酸化する反応です。6基の反応器を直列につなぎ、液を順に流していく構成でした。

ここで押さえておきたいのが運転条件です。約155℃、約9気圧。シクロヘキサンの沸点は常圧で約81℃ですから、加圧して液のまま保っている状態です。

これが後で決定的な意味を持ちます。沸点をはるかに超えた温度の液体を、圧力だけで押さえ込んでいる。配管が破れれば、中身は瞬時に沸騰して爆発的に気化します。単に「漏れる」のではありません。

1974年3月:5号反応器に亀裂が見つかる

事故の約2か月前、5号反応器に亀裂が見つかりました。硝酸塩による応力腐食割れです。

反応器の修理には時間がかかります。工場は生産を止めたくなかった。そこで出た結論が、これでした。

「5号を外して、4号と6号を直接つないでしまおう」

判断そのものは、あり得ない話ではありません。問題は、その先の進め方でした。

仮設配管はこうして作られた

あるべき姿実際にやったこと
配管の強度・応力計算を行う計算をしていない
正規の設計図を作成する作業場の床にチョークで描いたとされる
配管技術の有資格者が設計するその職位の技術者が不在だった
元と同じ口径でつなぐ元は28インチ、使ったのは20インチ
まっすぐつなぐ高さが違うため「く」の字に曲げた
荷重を受ける支持構造を設計する足場の上に載せただけ
設計圧力での試験を行う気密試験のみ。強度確認をしていない

並べてみると異様ですが、当時の現場では「配管をつなぐだけの、単純な工事」と受け止められていたと考えられます。反応器そのものを設計変更したという認識がなかった。

6月1日:配管が破断する

仮設配管は約2か月間、問題なく使われていました。ここが恐ろしいところです。すぐ壊れていれば、被害は小さかったかもしれません。

6月1日、配管が破断します。大量のシクロヘキサンが噴出し、瞬時に気化して巨大な蒸気雲を作りました。

放出量は資料によって幅がありますが、数十トン規模と見られています。着火から爆発までは1分ほどだったとされます。

2. なぜその配管は壊れたのか

破断のメカニズムには複数の説が示されていますが、設計上どこに無理があったかは明快です。

曲がった配管には、まっすぐな力がかからない

まっすぐな配管なら、内圧は管を押し広げる方向にだけ働きます。ところが「く」の字に曲がっていると、内圧が配管を伸ばそうとする力が、曲がり部分に回転させる力(モーメント)として効きます。

この曲げの力を受け止めるのは、両端の接続部――伸縮を吸収するためのベローズ(蛇腹)でした。ベローズは軸方向の伸び縮みを吸収する部品であって、曲げやねじりに耐える設計にはなっていません。

口径を細くしたことの意味

28インチのところに20インチを入れれば、流路の断面積はおよそ半分になります。流速が上がり、圧力損失が増える。設計時に想定していない流動条件になります。

そして支持は足場の上。運転中の振動や熱膨張に対して、配管がどう動くかを誰も計算していませんでした。

ここで大事なのは、個々の判断が「絶対にダメ」だったわけではないことです。口径を変えることも、曲げることも、条件次第では成立します。成立するかどうかを計算で確かめなかったことが問題でした。

3. なぜ誰も止められなかったのか

技術的な原因は以上です。しかし本当の問いはここからです。なぜ、誰も「待った」をかけなかったのか。

理由1:これが「変更」だと認識されなかった

最大の要因はこれです。反応器を1基外すことは、プロセスの構成そのものを変える設計変更です。しかし現場では「配管工事」として扱われた。

設計変更なら設計審査が必要です。配管工事なら現場の判断で進みます。入口で分類を間違えると、その後の審査はまるごと飛びます。

理由2:判断できる人がいなかった

事故当時、この工場には配管設計を専門とする有資格の技術者がいませんでした。該当する職位が空席だったのです。

技術的な妥当性を問う人がいなければ、「つながればいい」という判断が通ってしまいます。止める役割の人がいないことは、止める仕組みがないことと同じです。

理由3:「仮設」という言葉が審査を軽くした

仮設、暫定、応急。これらの言葉には、「どうせすぐ元に戻すのだから」という含みがあります。

しかし配管の側からすれば、仮設も恒久もありません。155℃・9気圧の中身は、貼られたラベルを読んでくれない。

この「一時的な変更こそ危ない」という構図は、フリックスボロー以降も繰り返されています。変更管理の実務は、こちらで詳しく扱っています。

4. なぜ28名も亡くなったのか

被害の大きさには、爆発そのものとは別の要因があります。

制御室が耐えられなかった

亡くなった28名のうち、多くが制御室にいた人たちでした。建屋が爆風で崩壊したためです。

制御室は、異常時にこそ人が集まる場所です。そこが最も危険な場所になっていた。この事故のあと、制御室の耐爆設計と配置の考え方が根本から見直されます。

大量の可燃性液体をその場に置いていた

6基の反応器には、常に大量のシクロヘキサンが入っていました。そこにあるから、それだけ漏れた。

ここから、化学工学者トレバー・クレツが提唱した有名な言葉が生まれます。

「そこにないものは、漏れない」(What you don’t have, can’t leak.)

危険物の量そのものを減らせば、対策の量も減る。これが本質安全設計の中心的な考え方です。

土曜日だった

そして、これを書いておかなければ不誠実になります。事故が起きたのは土曜日の夕方で、工場にいた人数は平日よりずっと少なかった。

平日の日中であれば、犠牲者は桁が違っていたと考えられています。被害の規模を決めたのは、安全対策ではなく曜日でした。

5. この事故が変えたもの

生まれた考え方内容
変更管理(MOC)設備・プロセス・手順への変更は、規模の大小や「仮設」かどうかにかかわらず、正規の審査を通す
本質安全設計危険物の量を減らす。危険な条件を避ける。守るより、そもそも危険を小さくする
制御室の耐爆設計異常時に人が集まる建屋は、爆風に耐えるか、危険源から離す
技術者の関与の義務化プロセスに関わる変更には、資格と責任のある技術者が関与する
英国の規制強化この事故を契機に、重大災害ハザードに関する規制の整備が進んだ

いま私たちが当たり前にやっている変更管理の書類は、この28名の犠牲の上に作られたものです。

6. 自分の工場で確かめる5つのこと

  • いま入っている「一時的な」変更を、全部挙げられますか。それぞれ、いつ元に戻す予定ですか
  • 「これは変更管理の対象か」を誰が判断していますか。その判断を工事の依頼者自身がしていませんか
  • 同じ機能の代替品に取り替えるとき、審査は要らないことになっていませんか。口径・材質・支持が同じか、誰が確認しましたか
  • 制御室や詰所は、どこにありますか。危険源からの距離と、建屋の構造を確認したのはいつですか
  • その装置に入っている可燃物は何トンですか。減らせない理由を、説明できますか

2番目が、この事故の入口でした。「これは変更管理の対象ではない」という判断こそ、最も審査されていない判断です。

まとめ

  • 1974年6月1日、英国フリックスボロー。死者28名、周辺家屋1,800戸以上が損壊
  • 亀裂の見つかった反応器を外し、強度計算も設計図も審査もない仮設配管でつないで運転を続けた
  • 約2か月後に破断。沸点をはるかに超えた液体が瞬時に気化し、蒸気雲爆発に至った
  • 根本にあったのは「これは変更ではない」という認識。分類を間違えた時点で審査は飛んだ
  • この事故から変更管理・本質安全設計・制御室の耐爆設計が生まれた

フリックスボローが問いかけているのは、技術力ではありません。「急いでいるとき、面倒な手続きを飛ばさずにいられるか」という、ごく日常的なことです。

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参考文献