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1976年7月10日、イタリア北部の町セベソ。ICMESA社の化学工場から、白い雲のようなものが立ちのぼりました。
この事故で、その場で亡くなった人はいません。
それなのに、セベソは化学産業の規制を根本から変えた事故として記憶されています。理由は、放出された物質のなかにダイオキシンが含まれていたからです。
死者ゼロの事故が、なぜ歴史を変えたのか。この問いの答えが、そのまま現代のプロセス安全の考え方になっています。
この記事の要点
- バッチ反応を途中で止めて、週末に入ったことが起点
- 撹拌も冷却も止めた反応器の中で、数時間かけて暴走反応が進んだ
- 破裂板は正常に作動した。しかしその先が、そのまま大気だった
- 死者はゼロ。それでも土地が汚染され、住民は戻れなくなった
- この事故からセベソ指令が生まれ、住民の「知る権利」が制度になった
1. 何を作っていたのか
ICMESA社のこの工場では、2,4,5-トリクロロフェノール(TCP)を作っていました。除草剤や殺菌剤の原料になる物質です。
製造は、原料を反応器に仕込み、加熱して反応させ、取り出すというバッチ運転でした。
ここで問題になるのが、この反応には「作ってはいけない副生成物」があったことです。高温になると、TCDD(いわゆるダイオキシン)が生成します。通常の運転温度では生成量はごくわずかですが、温度が上がるほど増えるという性質を持っていました。
つまりこのプロセスは、「温度を上げてはいけない理由」が二重にあったことになります。暴走反応そのものの危険と、毒性物質が生成する危険です。
2. 途中で止める、という判断

土曜日の朝
7月10日は土曜日でした。当時のイタリアには週末の操業に関する制約があり、作業を区切る必要がありました。
そこで取られたのが、バッチを完了させずに、途中の状態で運転を止めるという判断です。加熱を止め、撹拌を止め、反応器をそのままにして人は帰りました。
止めたはずの反応器で、何が起きていたか
加熱を止めれば温度は下がる。直感的にはそう思えます。実際には違いました。
反応器の外側には、加熱に使っていた蒸気系の熱が残っていました。そして撹拌が止まっているため、液は混ざりません。
撹拌がないと何が起きるか。反応器の上のほうだけが、局所的に高温になります。熱は伝わらず、そこに溜まる。全体の平均温度を見ていても、この偏りは見えません。
そして高温になった部分で反応が始まり、発熱し、さらに温度が上がる。数時間かけて、誰もいない工場で暴走反応が進行しました。
「止めた」は「安全になった」ではありません。
電源を切っても、人が帰っても、中身の化学反応は勝手に進みます。停止直後にどれだけの熱が残っているか、撹拌を止めたときに温度がどう偏るか。これは計算しなければ分かりません。
暴走反応がどう始まり、なぜ止まらなくなるのかは、こちらで扱っています。
また、この「止めるとき・立ち上げるときが最も危ない」という構図は、非定常運転の記事でも詳しく扱っています。
3. 破裂板の先が、空だった
暴走反応で圧力が上がり、破裂板(ラプチャーディスク)が作動しました。
ここは強調しておきます。安全装置は設計どおりに働いています。破裂板がなければ、反応器そのものが破裂していたでしょう。
問題はその先でした。放出先に、除害設備も回収設備も、何もなかった。反応器の内容物は、そのまま大気へ放出されました。
圧力放出装置は「容器を守る」装置であって、「人と環境を守る」装置ではありません。逃がした先に何を置くか――スクラバー、キャッチタンク、フレア――を設計して、はじめて対策になります。この構図は、2005年のBPテキサスシティでも繰り返されました。
4. 見えない毒と、遅れた情報
最初は「何が出たか」が分からなかった
放出されたのは、主に反応器の内容物です。刺激臭があり、周辺では植物が枯れ、動物が死にはじめました。
そして子どもたちの皮膚に、塩素座瘡(クロロアクネ)という特徴的な症状が現れます。これはダイオキシン曝露の指標となる症状でした。
TCDDの放出量は、いまも推定に幅があります。数百グラムから数キログラムの範囲とされることが多い量です。キログラム単位の物質が、広い地域を居住不能にしました。
情報が届くまでに日数がかかった
ここがセベソの決定的な問題です。
放出の直後、住民に対して「何が放出されたのか」「どうすればいいのか」が伝えられませんでした。ダイオキシンの関与が公に確認され、対策が取られるまでに日数が経過しています。
そのあいだ、住民は普段どおりに暮らしていました。子どもは外で遊び、家庭菜園の野菜を食べていた。
最終的に、最も汚染の激しい地区の住民は避難し、その土地には戻れませんでした。建物は撤去され、汚染土は封じ込められています。
「死者ゼロ」の意味を、もう一度考えてみてください。
爆発による死者はいません。しかし町の一部が消えました。プロセス安全のリスクは、人命だけでは測れない。土地、生業、そしてその地域に住み続けられるかどうかが失われます。
5. セベソ指令が変えたもの
この事故を受け、欧州共同体は1982年に「セベソ指令」を制定します。以後、改正を重ねながら(セベソII、セベソIII)、EUの重大事故規制の骨格であり続けています。
| 柱 | 内容 |
| 危険物の量による規制 | どんな物質を、どれだけ持っているかで規制の強さが決まる。「量」を規制の基準に据えた |
| 事業者による安全報告 | 重大事故のシナリオを自ら特定し、防止策を文書で示す |
| 緊急時計画の義務化 | 事業所内と、行政による事業所外の計画を、あらかじめ作る |
| 住民への情報提供 | 周辺住民は、何が保管され、何が起き得るかを知る権利を持つ |
| 土地利用計画との連動 | 危険施設と住宅・学校・病院との距離を、都市計画の側から管理する |
4番目が、この事故の核心に対する答えです。「知らされていなかったから、逃げられなかった」への回答が制度になりました。
そして5番目は、8年後のボパールで、その重要性が最悪の形で証明されることになります。
6. 自分の工場で確かめる5つのこと
- バッチを途中で止めることがありますか。その状態での安全性を、評価した記録はありますか
- 撹拌が止まったとき、温度はどう偏りますか。撹拌停止をインターロックの入力に入れていますか
- 加熱を止めたあと、残っている熱はどれだけですか。ジャケットやコイルの余熱を計算していますか
- 安全弁・破裂板の放出先は、どこですか。大気開放になっている系統は残っていませんか
- 反応温度が上がると、何が生成しますか。目的物以外の副生成物を、評価していますか
1番目が、この事故の入口でした。「今日はここまでにしよう」という判断は、プロセスの変更です。
まとめ
- 1976年7月10日、イタリア・セベソ。TCP製造の反応器で暴走反応が起き、内容物が大気放出された
- 起点はバッチを途中で止め、撹拌と加熱を切って放置したこと。残熱と温度の偏りで反応が進んだ
- 破裂板は正常に作動した。問題は、その先に何も設けていなかったこと
- 死者はゼロ。それでもダイオキシン汚染で、住民は土地に戻れなくなった
- この事故からセベソ指令が生まれ、量による規制・安全報告・住民の知る権利・土地利用計画が制度化された
セベソが教えているのは、プロセス安全の被害は「何人死んだか」では測りきれないということです。失われるのは、その土地に住み続けられるという当たり前のほうかもしれません。
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参考文献
- HSE「Seveso, Italy, 10 July 1976」事故概要
- 安全工学会 監修『実践・安全工学シリーズ2「プロセス安全の基礎」』化学工業日報社、2012年、第1章「欧米における重大事故と行政の対応」
Amazonで見る - 安全工学会 監修『実践・安全工学シリーズ1「物質安全の基礎」』化学工業日報社、2012年、第1章「反応危険性」
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※TCDDの放出量および汚染範囲の評価は資料によって幅があります。本記事では広く引用されている推定の範囲を示し、確定値としては扱っていません。
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