【詳細記事】NPSH計算完全ガイド|「キャビテーション」を防ぐ現場の計算術【シミュレーター付】

はじめに:ポンプからの「悲鳴」を聞いたことがありますか?

夏の暑い日、プラントの片隅でポンプから「バリバリ!」「ジャラジャラ!」という音が聞こえてきたことはありませんか?
まるで砂利でも噛み込んだような凄まじい音ですが、実は中には液体しか入っていません。

これはポンプの悲鳴、すなわち「キャビテーション(空洞現象)」です。

内部で発生した気泡が弾ける衝撃で、金属製のインペラー(羽根車)をもボロボロに破壊してしまうこの現象。防ぐための唯一の鍵が、今回解説する「NPSH(正味吸込ヘッド)」という指標です。

「計算が難しそう…」と身構える必要はありません。この記事では、難解なNPSHを「お財布事情」に例えてわかりやすく解説し、明日から使える計算手順を完全網羅します。


1. 敵を知る:キャビテーションはなぜ「凶器」なのか?

泡の正体は「常温の沸騰」

ポンプの吸込口は、ストローでジュースを吸うときと同じように、ポンプ内部で「最も圧力が低くなる場所」です。

もし、この部分の圧力が、液体の「蒸気圧(沸騰する圧力)」を下回るとどうなるでしょうか?
たとえ温度が30℃であっても、液体は一瞬で沸騰し、激しく気泡(蒸気)が発生します。これがキャビテーションの正体です。

崩壊する時の衝撃波

発生した気泡は、インペラーの回転に伴って圧力の高い場所へ移動します。すると、今度は周囲の圧力に押し潰されて、一瞬で消滅(崩壊)します。

問題は、この「泡が消える瞬間」です。
気泡が一点に向かって急激に縮むとき、マイクロジェットと呼ばれる超局所的な衝撃波が発生します。その威力は金属を少しずつ削り取るほど強力です。これが長時間続くと、インペラーはスポンジのように穴だらけになり(壊食)、やがて破損します。


2. 概念の翻訳:NPSHは「お財布の残高」である

キャビテーションを防ぐための指標であるNPSH(Net Positive Suction Head)。
教科書には $NPSH_A$ や $NPSH_R$ といった記号が出てきますが、これは「買い物」に例えると一発で理解できます。

① 必要NPSH ($NPSH_R$) = 商品の「定価」

  • 誰が決める?:ポンプメーカー
  • 意味:「このポンプを正常に動かしたければ、吸込口に最低でもこれだけの圧力の余裕(エネルギー)を持ってきてください」という要求値です。カタログに記載されています。

② 有効NPSH ($NPSH_A$) = あなたの「所持金」

  • 誰が決める?:ユーザー(設計者・現場)
  • 意味:タンクの高さや配管の太さによって、実際にポンプの吸込口まで届けられる「圧力の余裕(残高)」です。計算で求めます。

鉄則:所持金は足りているか?

ポンプを安全に動かす条件はただ一つです。

【キャビテーション防止の鉄則】

所持金 ($NPSH_A$) > 定価 ($NPSH_R$) + お小遣い(マージン)

現場の設備が作り出す「有効NPSH」が、ポンプが要求する「必要NPSH」を上回っていなければなりません。
ギリギリの所持金では不安なので、通常は0.5m〜1.0m程度のマージン(余裕)を持たせるのが設計のセオリーです。


3. 実践!有効NPSH ($NPSH_A$) の計算手順

では、現場の「所持金(有効NPSH)」を計算してみましょう。
公式は一見複雑に見えますが、要素はたった4つです。

$$
NPSH_A = \frac{10^6(P_s – P_v)}{\rho g} + h_s – h_l
$$

  • $P_s$:吸込液面上の圧力 [MPa abs] (空からの援軍)
  • $P_v$:液体の蒸気圧 [MPa abs] (温度による税金)
  • $\rho$:液体の密度 [kg/m³]
  • $g$:重力加速度 [9.81 m/s²]
  • $h_s$:実揚程 [m] (高さのボーナス)
  • $h_l$:吸込配管の損失ヘッド [m] (配管の摩擦借金)

⚠️【超重要】圧力の単位に注意!

NPSHの計算では、すべて「絶対圧 (abs)」を使います。
大気開放タンクの場合、ゲージ圧は0MPaGですが、計算式には0.1013 MPa abs(標準大気圧)を代入します。ここを0にしてしまうと計算が破綻するので注意してください。

計算ケーススタディ

「夏場、少し配管が細めのライン」を想定して計算してみましょう。

  • 条件:水(30℃)、流量10m³/hr、大気開放タンク
  • 配置:液面高さはポンプ吸込中心より10m上 ($h_s = +10m$)
  • 配管:50A (内径54.1mm)、長さ10m

手順1:吸込液面上の圧力 $P_s$

大気開放なので、大気圧がそのまま「押し込み圧」として使えます。
$$P_s = 0.1013 \text{ MPa abs}$$

手順2:蒸気圧 $P_v$ (Antoine式)

温度が上がると蒸気圧は高くなり、有効NPSHを食いつぶします。
30℃の水の蒸気圧を確認します(蒸気表やAntoine式より)。
$$P_v \approx 0.0042 \text{ MPa abs}$$

現場のポイント:
これがもし100℃だったら? $P_v$ は大気圧と同じ $0.1013 \text{ MPa}$ になり、$P_s – P_v$ がゼロになります。つまり、大気圧による押し込み効果が完全に相殺されてしまうのです。これが「熱い液は吸いにくい」理由です。

手順3:吸込配管の圧力損失 $h_l$

配管内を流れる「摩擦」によるロスです。流速を計算し、摩擦係数から求めます。
(詳細な計算過程は割愛しますが、流量10m³/hr・50A配管の場合)
$$h_l \approx 0.026 \text{ m}$$
※配管が太く短いため、損失はごくわずかです。

【詳細記事】現場で使える圧力損失計算|ダルシーの式からエルボの等価長さまで【シミュレーター付】

手順4:合算して判定

$$
NPSH_A = \frac{10^6(0.1013 – 0.0042)}{1000 \times 9.81} + 10 – 0.026
$$

  1. 圧力項(大気圧 – 蒸気圧)のヘッド換算:約 9.9 m
  2. 実揚程:+ 10 m
  3. 損失:- 0.026 m

合計: $NPSH_A \approx 19.9 \text{ m}$

一般的なポンプの必要NPSH ($NPSH_R$) は2〜5m程度なので、今回は「所持金たっぷり」で余裕クリアです。

有効NPSH (NPSHa) 計算シミュレーター

NPSHa (有効NPSH) 計算シミュレーター

現場の条件を入力して、キャビテーションのリスクを判定します

温度が上がると蒸気圧が高くなりNPSHが下がります
m
ポンプ吸込中心から液面までの高さ (+: 押し込み, -: 吸い上げ)
m³/hr
mm
50A配管 (Sch40) ≈ 52.9mm / VP50 ≈ 51mm
m
m
ポンプの仕様書に記載されている値 (通常2〜5m)
有効NPSH (NPSHa)
— m
OK
圧力項ヘッド
(大気圧 – 蒸気圧) — m
高さ項 (hs)
(実揚程) — m
損失項 (hl)
(配管摩擦) — m

判定: 計算中…


4. 現場トラブルシューティング:もし音が鳴り止まなかったら?

計算上はOKでも、現場ではトラブルが起きます。
もし「バリバリ」という音が聞こえたら、計算式のどの要素が悪化しているかを確認しましょう。

① 液温が上がっていないか? ($P_v$ の悪化)

夏場、直射日光で配管が温められていませんか?

  • 対策:配管に散水する、クーラーの冷却水量を増やす。

② ストレーナが詰まっていないか? ($h_l$ の悪化)

工事後のゴミや、スラリーがストレーナに詰まると、配管抵抗 ($h_l$) が急激に増大します。

  • 対策:ポンプ吸込側の圧力計(連成計)を見てください。針が負圧側(真空側)に大きく振れていたら、ストレーナ詰まりのサインです。

③ 液面が下がっていないか? ($h_s$ の悪化)

タンクの液面計 (LI) が低レベルになっていませんか?

  • 対策:一時的に流量を絞るか、液面が回復するまで待つ。

まとめ:NPSH計算は「ポンプへの思いやり」

NPSHの計算は、単なる数字合わせではありません。
「熱いお風呂に入るとのぼせる」のと同じで、ポンプにとっても「熱い液」「吸いにくい配管」は苦痛なのです。

  • $NPSH_A$(所持金) を正確に計算して把握する。
  • $NPSH_R$(定価) に対して十分な余裕を持たせてあげる。

これが設計者の役割であり、現場で異音に気づいたときに「液温が高い?」「ストレーナが詰まった?」と推測できるのが運転員のスキルです。
この計算ロジックを頭に入れて、ポンプの「声」に耳を傾けてみてください。

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