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蒸留の計算は、突き詰めるとほぼすべて蒸気圧から始まります。ラウールの法則も相対揮発度も、材料は「その温度での純物質の蒸気圧」。では、その蒸気圧はどうやって手に入れるのか。
実務での答えはほぼ一択で、Antoine(アントワン)式です。定数3つで蒸気圧曲線を表すこの式は、簡単なぶん落とし穴も定番化しています。この記事では、使い方と検算例、そして定数を使うときの3つの落とし穴を整理します。
この記事は蒸留シリーズ「気液平衡の読み方」の1本です。全体像は蒸留の完全ガイドにまとめています。
この記事の結論
- Antoine式:log10 P = A − B/(t + C)。定数A・B・Cは物質ごとに実測から決められている
- 検算例:エタノール78.3℃でP = 759 mmHg ≒ 大気圧。沸点が再現されれば定数の単位系は正しい
- 落とし穴は3つ:単位(mmHgかkPaか)、対数の底(log10かlnか)、適用温度範囲
- 同じ物質でも文献によって定数は違う。データの出どころと範囲をセットで記録するのが実務の作法
1. 蒸気圧は温度で「加速度的に」増える

蒸気圧は温度に対して直線的には増えません。エタノールで実際に計算すると、20℃で44 mmHg、78.3℃(沸点)で759 mmHg、100℃では1696 mmHg。温度が上がるほど増え方が加速する、指数関数的な曲線です。
この形は熱力学のClausius-Clapeyron(クラウジウス・クラペイロン)式から出てくるもので、log P を 1/T に対してプロットするとほぼ直線になります。その直線を「実用的に少し曲げて」精度を上げたのがAntoine式です。理論と実測の中間にある、実務の道具と考えてください。
2. Antoine式の使い方と検算

log10 P = A − B/(t + C)
たとえばエタノールの定数として A = 8.21337, B = 1652.05, C = 231.48(P:mmHg, t:℃)が文献に載っています。t = 78.3℃(エタノールの常圧沸点)を入れてみます。
- log10 P = 8.21337 − 1652.05/(78.3 + 231.48) = 8.21337 − 5.3329 = 2.8805
- P = 102.8805 = 759 mmHg ≒ 760 mmHg(大気圧)
沸点でちょうど大気圧になりました。この「沸点検算」は、初めて使う定数に対して必ずやるべき1分の儀式です。単位系の取り違え・写し間違いのほとんどは、ここで発見できます。
逆方向(圧力→温度)に解けば「減圧したら何℃で沸くか」も出ます。t = B/(A − log10P) − C。減圧蒸留の操作温度の当たり付けはこの1行です。
3. 3つの落とし穴|定数は「単位・底・範囲」とセット
| 落とし穴 | 何が起きるか | 防ぎ方 |
| 単位系 | mmHg系とkPa系、℃系とK系で定数がまったく別物 | 定数と一緒に単位を記録。沸点検算する |
| 対数の底 | log10の定数をln式に入れると大外れ | 出典の式形を確認。沸点検算する |
| 適用温度範囲 | 範囲外への外挿は誤差が急拡大。特に低温側 | データの温度範囲をメモし、範囲外は別の定数セットを使う |
3つめの範囲問題には根深い事情があります。同じ物質でも、文献によってAntoine定数は違います。たとえばエタノールについて、手元の2冊は次の定数を載せています。
| A | B | C | |
| 文献1(数値計算の教科書) | 8.21337 | 1652.05 | 231.48 |
| 文献2(蒸留技術の教科書) | 8.12187 | 1598.673 | 226.726 |
どちらも間違いではありません。相関に使った実測データの温度範囲が違うのです。3定数の式は万能ではないので、どの温度域を重視して合わせ込むかで最適な定数が変わります。常圧付近の計算なら文献1、減圧域なら低温データで合わせた定数——のように、「使う温度域に合った定数を選ぶ」のが正解で、「どれが正しい定数か」という問いには意味がありません。
4. どこで手に入れるか
- 化学工学便覧・物性データ集:主要物質は網羅されている。単位系の確認を忘れずに
- 物性シミュレータ内蔵DB:便利だが、どのデータバンクのどの範囲か把握して使う
- 実測:本設計で効く物質(主成分・共沸相手)は、運転温度域での蒸気圧実測に価値がある
まとめ
Antoine式は定数3つで蒸気圧曲線を表す実務の標準道具です。使い始めに必ず沸点検算をして、単位・対数の底・適用範囲の3点を確認する。同じ物質でも文献によって定数が違うのは、合わせ込んだ温度範囲が違うからで、「使う温度域に合った定数を選ぶ」のが実務の作法です。
これで第1章「気液平衡の読み方」は完結です。第2章では、この土台の上でMcCabe-Thiele法による蒸留計算に進みます。
参考文献
- 相良紘『事例でわかる化学工学のための数値計算』日刊工業新聞社, p.84(エタノール・水のAntoine定数、実践問題4.4) Amazonで見る
- 大江修造『絵とき「蒸留技術」基礎のきそ』日刊工業新聞社, 2008, p.47(エタノール・ベンゼンのAntoine定数) Amazonで見る
- 化学工学会編『化学工学便覧 改訂五版』丸善, 第1章(蒸気圧の推算と相関)
※ 本文の定数・計算値は執筆時に出典から転記・検算したものです。設計には最新のデータベースで適用範囲を確認のうえ使用してください。
化学プラント大全 